ゲシュタルトの祈り

順風満帆の左うちわサラリーマン生活を捨て、転職して年収爆上げするも5ヶ月で退職してフリーランスとして独立した僕の個人的なブログ。

頭が良い人を決める3+4の要素と、それよりも大切なこと

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順風満帆の左うちわリーマン生活を捨て、転職して年収爆上げするも5ヶ月で退職してフリーランスとして独立した僕が「頭の良さ」について考えました。
抽象的な言葉のひとつである「頭が良い」という言葉を、あなたならどう説明しますか。
ベースとなる3つと必要な4つの要素を言語化してみました。
そして、最後にそれよりも大切なことを書きました。
その時、あなたがどう感じたかで次の誰かの人生が変わるかもしれません。
もちろん僕のとってのあなたがそうであれば、もっと嬉しいです。

 

目次

「頭が良い人」が多数派になることは、ない

頭が良いとか悪いっていうのは結局比較でしかない。
ということは、頭が良いと呼ばれる人は程度の違いこそあれ少数派なのだ。
「頭が良い」という定義によって多少変わるけどね。

なぜって、わかるだろう?
「頭が良い」という言葉は、上位に対し語る言葉だからだ。
平均的なものをベースに語ったり、話者を基準にして語る。
つまりは「頭が良い」ということは、少数派でない限り定義として矛盾が出てしまうのだ。

では、反対に「頭が悪い」にもこれがあてはまるだろうか。
確かに少数派としてカテゴライズされることに異論はないが、我が国においては極めて少数派と言えるのではないだろうか。
義務教育だけでも、社会に出て恥ずかしくないレベルは十分習得できる。

そう。
僕が言いたいことは、つまり「頭が良い・悪い」という定義が、実に曖昧に機能しているということなのだ。

間違った使われ方をする「頭が良い」という言葉

多くの場合は「勉強ができる・できない」といったものではないだろうか。
これについては学生であれば僕も理解できます。
学生にとって「頭が良い・悪い」が「勉強ができる・できない」に直結するのは、それが彼らの務めで勉強ができることによって評価されるからです。

では、モラトリアムが終わり社会人としてスタートした僕たち大人の世界ではいかがでしょう。
勉強ができたことを仕事上で評価されることはあまりありません。
大学時代に行なっていた研究が元になり、仕事につながることや、人脈としての機能はあるかもしれません。
ただ、何れにしても勉強ができようができまいが目の前の仕事や営みには関係ありません。

ただし、先述したようにこの「頭が良い・悪い」という言葉は、僕たち大人の世界においてもしばしば「勉強ができる・できない」といった誤った意味合いで用いられることがあります。

頭の良さを決めるベースとなる3つと、必要な4つの要素

僕の考える「頭の良さ」はこちら。
ベースになるのはまずこの3つです。

・頭の回転が早い
・理解力が高い
・記憶力がある

この3つに関しては「勉強ができる・できない」という尺度でもある程度判断ができます。

そして、その上で僕が考える「頭の良さ」は主にこの4つです。

・機転が利く
・直感力がある
・必要な時に引き出せる
・想像力がある

4つあげましたが、どれも同じようなことですね。
ベースとなる3つに「知識量」を入れなかったのは、まさに僕の考える頭の良さを語る上で重要な要素なのですが、いくら知識があっても引き出すことができなければ全く無意味だからです。
そう思ったのは、SEOや以前検索エンジンの開発に協力していたことがあったからでしょう。

どうしてGoogleが世界的に認められる検索エンジンとなったのでしょう。
それは、ユーザーが探しているものを見つけ出せるようにしたからです。
Googleの使命は「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」です。
東京ドーム100個分の図書館があったとしても、欲しい本がなければ意味がありませんし、探し出せないならむしろその膨大な大きさもコレクターの自己顕示欲にすぎません。

知識は持つことが大切なのではなく、必要な時に引き出せるか

知識量を自慢する人や知識量に驚く人がいますが、先ほどの繰り返しになりますが、知識は活かして初めて意味があります。
そして、知っているよりも大切なことは、それを何かに役立てたり人の助けになったり、はたまた自分の持っている様々なものと組み合わせて新たな価値を作ることです。
もちろん、そのためにはある程度の知識や勉学や好奇心が必要になりますが、これは人によってものの捉え方やモチベーションによって差が出ることだと思いますので、今の自分をベースにその中で何ができるかというちょっとした思考の訓練をすると良いのではないかと思います。

それは、ニュースを見ていたり新しいものに触れたり人の話を聞いていたり、どんな時でも構いません。
自分の中の何かと共通点を見つけたり組み合わせてみたり色々なことを考えてみると、ひょんなことから目から鱗のアイディアが生まれるかもしれません。

大切なのは頭の良さじゃない

今まで「頭が良い」ということについて述べてきました。
それでも、僕は問題は頭の良さではないと思っています。
様々な困難に立ち向かう時に必要なのは、知識量でも頭の回転の速さでもありません。
やり抜くことじゃないでしょうか。
逆に言えば、インテリに対してコンプレックスがある人こそ「実行」という前進をもって出し抜くべきなのではないかと思っています。
3年間温めたアイディアと新社会人が3日で出したアイディア、素人がその場で出したアイディア。
そのどれも価値があり、それよりも大切なことは、それを現実のものとして動かすことだと思っています。
時にそれを嘲笑し、そつなくこなす者もいれば、失敗を恐れいつまでも実行しない者もいるでしょう。
最後に笑うのは誰でしょう。
たとえ失敗したとしても、その経験によって得た価値は、まさにお金で買えない価値です。
それに気付けない者の嘲笑に耳を貸す必要はありません。

とりあえずよってみようよ。それから考えよ。どうせバカじゃん

それくらいの方がちょうど良いんじゃないかと思うよ。
失敗を知らないバカの方が、生きてて楽しそうだしね。やってダメだと思ったら止めれば良い。
経験に勝るものはないと思うしね。
そして、もしそれで何かを得たり成功と呼べるような体験をしたらさ、今度は次の誰かの背中を押してあげれば良いと思うよ。
考えることは確かに大切。
ちゃんと物事に向き合う姿勢も必要。
それでも、思考の時間を半分にして、やることを倍にした方がきっとうまくいく
だから、どんな小さなことでも良い。
大切なのは思考の回数じゃなく、施行の回数。
まず何か始めてみたらきっと何か変わるんじゃないかなって、僕はそう思うんだ。

それじゃ、確かに背中は押したよ。頑張ってね。